「釣り鐘」カプセルで40分…チリ落盤救出法 [チリ]

前回載せた、チリの鉱山落盤事後についての続報です。 33人を今後どうやって救出していくか、具体的な手順が明らかになったようです。 まずは、地上のレスキュー隊が坑内に下りるんですね。 そして、図のようなカプセルに一人ずつ収容して、重機で引き揚げるということらしいです。 本当に、何とか無事に全員の救出が終わることを祈りたいと思います。[かわいい]




「釣り鐘」カプセルで40分…チリ落盤救出法
(2010年9月3日 読売新聞)


【リオデジャネイロ=浜砂雅一】チリ北部コピアポ近郊の鉱山落盤事故で地下に閉じ込められた作業員33人を救出する手順が2日、地元紙報道などで明らかになってきた。

 救出作戦は、暗闇に慣れた作業員の目や肌を保護するため、夜間を中心に行う。最初に4人のレスキュー隊員が地下約700メートルの坑内に下り、33人の健康状態を調べ、引き上げる順番などを決める。次に、「釣り鐘」と呼ばれる筒状のアルミ製カプセルに1人ずつ収容し、重機で地上に引き上げる。所要時間は1人平均約40分。全工程で約3日かかる見通しだ。

 作業員はカプセル内で、断熱効果のある特殊な服を身に着け、シートベルトで固定される。酸素ボンベや通信機器も搭載。マイク付きのヘッドホンで地上と交信できる。救出後は直ちに、コピアポ市内の病院に搬送される予定だ。

救出用カプセル

<チリ鉱山事故>掘削30日開始 岩石数千トン、自ら除去 [チリ]

このチリの鉱山落盤事故、作業員の人たちが地下のシェルターで生きていたというニュースを最初見て、本当に驚きました。[グッド(上向き矢印)] で、その後に救出用の穴を掘るのに、約4か月もかかるということを知ってさらに驚きましたね。[バッド(下向き矢印)] 世界各国の最先端技術を集めても、事態は変わらないんでしょうか…。[ふらふら] ともかく、33人全員が一刻も早く無事に救出されることを願います。




<チリ鉱山事故>掘削30日開始 岩石数千トン、自ら除去
(2010年8月30日 毎日新聞)



 【メキシコ市・國枝すみれ】落盤事故で33人が閉じこめられたチリ北部コピアポのサンホセ鉱山で、チリ政府は30日から救出のための掘削作業を開始することを決めた。AP通信が29日に報じた。救出用トンネル掘削では地中の33人が数千トンの岩石を取り除く作業をしなくてはならないといい、体力と気力を保持できるか危惧(きぐ)される。

 救出作業の第1段階は、パイロットホールと呼ばれる直径38センチの穴を掘ること。第2段階で穴の直径を66センチにまで拡大。救出カプセルと呼ばれる円柱形の金属製カゴを地中に下ろし、1人ずつ引き上げる。

 ダイヤモンドの刃がついた掘削機は地下1000メートルまで掘ることができ、33人が待つ地下700メートル地点には十分届く。だが、硬い岩盤に当たるたび掘削のスピードを落とさねばならない。垂直に掘るためにドリルの角度を調整する必要があるからだ。

 最大の問題はパイロットホールを掘り終わった後だ。坑道に達したドリルは今度は下から上にのぼりながら穴を拡大していく。その際、落ちてくる3000~4000トンもの岩石を、33人は自力で取り除かねばならない。簡単な運搬機材などはあるものの、シフトを組んで24時間体制で働くことになる。

 チリ政府は、一日も早く救出するため10を超える代替案を検討中だ。食料供給、通信、換気に使用するため既に開けてある三つの穴のどれかを拡大する案も検討されている。

 29日には、食事量は1日2000キロカロリーに増やされた。33人の中で救急医療の知識を持つ作業員が、地下での作業に備え、仲間に破傷風などのワクチンを注射したという。


<チリ地震>沿岸の町で死者400人、不明700人 [チリ]

ハイチ大地震も記憶に新しいですが、今度はチリで大地震が起きてしまいました。 チリでの津波の被害も甚大で、がれきの下敷きになった人たちだけでなく、沿岸地域の津波の被害者数がどんどん増えています…。 今回の地震では、日本でも大津波警報が出されたり、大変でしたね。 幸い人的被害はなかったものの、津波による深刻な漁業被害はあったようです。 今回は、自然の力の恐ろしさを改めて感じましたね。 今一度、我が家の防災対策、見直してみます。




<チリ地震>沿岸の町で死者400人、不明700人
(2010年3月2日 毎日新聞)


 【コンスティトゥシオン庭田学】南米チリの大地震で、津波が直撃した沿岸部にある中部の町コンスティトゥシオンに1日昼過ぎ(日本時間2日未明)、入った。海岸付近に建っていた木造の家々は津波で200メートル以上流され、鉄筋コンクリート造りの建物でさえ完全に破壊されている。津波は最大で約30メートルの高さまで押し寄せ、コンスティトゥシオンの死者数は約400人、行方不明者数は約700人とも言われている。

 「ママ、ママ」と泣き叫ぶ2、3歳の男の子を抱え、大学生のマルセーラさん(21)は近くの高台に向かって走った。「誰の子供か分からなかった。でも必死に抱きしめながら走った」

 地震があった2月27日未明、風光明媚(めいび)な観光地でもある町の海岸には、近隣から大勢の若者らが集まり、週末の夜を楽しんでいた。マルセーラさんの家は、目の前に太平洋が広がるレストランやパブ、ディスコの並びにあった。家の後ろは高いがけ。地震の激しい揺れが襲った後、岩が崩れ落ちてきた。レストランやディスコにいた人々は、ほとんどが高台を目指して逃げ出した。最初の津波が押し寄せてきたのは地震発生から約30分後だった。大きな津波は計3回。約3時間続いたという。

 マルセーラさんが住んでいた2階建ての鉄筋コンクリート造りの家は、ほとんど跡形もなく押し流された。海面から約30メートル付近のがけには、津波で打ち上げられた木材などが残っていた。

 太平洋に注ぐマウレ川の河口付近の一帯は津波で洪水のようになった。川に逆流した海水は高さ2メートルにもなり、堤防のない川沿いに建つ木造の家々が押し流され、まるで更地のようになった。川から約300メートル離れた付近の道路は、家屋の残骸(ざんがい)や流された自動車などで埋め尽くされていた。

 一方、地震があった夜、コンスティトゥシオンの沖に浮かぶ二つの島には、毎年恒例の祭りの準備のため近隣から集まった150~200人がキャンプを張っていた。津波が来るかもしれないとボートで逃げようとしたが、ほとんどは間に合わなかった。島に船で助けに向かった人も巻き添えになった。木によじ登るなどして助かったのはわずか6人だけだったという。

 地震の直後、海岸そばに住んでいたモラレスさん(48)夫妻は、息子のアリエルさん(21)に「高い所に行かないとだめだ。津波が来る」と説得され、車で逃げた。家に戻ると、台所も寝室も水につかり、黒い砂に覆われていた。地震後、家の家財が盗まれないように近くに止めた車の中で寝ている。「略奪する人がいる。用心しないといけない」と言って、ジーンズに忍ばせた拳銃を見せた。

タグ:津波 地震

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